第終夜
『人を食う鬼を喰う鬼』
「はぁ……」
雑居ビルに戻ったニット帽子が、玄関に入るなりそう溜息をつく。
続くケイトと眼鏡女も、やはり気力が殆どないようだ。
無理もない。
幾ら鬼化していると言っても大部分は人間だ。
連続した精神的なダメージと心の休まらない緊張した長時間、肉体的な消耗以上に心がすり減っている。
「疲れたな……」
「あぁ……」
ソファーに沈み込むニット帽子と床に寝転がるケイト。
眼鏡女は多少錯乱しているのか、奥の冷蔵庫の前まで行ってうずくまる。
あたしはやる事もなく、部屋の隅で壁を背にして目を閉じる。
擦り切れた彼と彼女らに比べて、いまだ寝ようと思えば寝てしまえるような自分を比べる。
人間と非人間の境界を行ったりきたりする3人と、既に人ではなくなってしまった自分。
どちらが幸せなのだろうか。
(そりゃ……より人間に近い方だろうけどさ……)
少しして、眼鏡女がふらふらとした足取りで戻ってくる。
「ねぇ……これ……見て……」
彼女は手にした1枚の紙切れをテーブルに置く。
それをニット帽子とケイトはのそのそと起き上がり、見に行く。
「なんだ、それ?」
あたしの問いかけに、ケイトだけが答える。
「波風からだ……。『決着をつけよう、立体駐車場で待つ』とだけ書いてある……」
「果たし状かよ」
罠……なんだろうか。
しかしこれにしたって回りくどく、まったく意味が見い出せない。
この状況なら、今までと同じようにちくちくと襲撃を繰り返せば、少なくともあたし以外の3人は消耗して死ぬだろう。
(やっぱ、狂ってんのかね……)
あたしは馬鹿々々しくなってしまい、本格的に寝る事にした。
ケイトも眼鏡女も既に紙切れに興味をなくし、部屋の中で横になる。
ニット帽子だけが、虚ろな目で紙に書かれた一文に目を落としていた。
ゴトッ!
ガサッ!
ドカッ!
深夜午前3時の真っ暗な中、部屋の物音で目を覚ます。
「なんだよ、うるさいな」
眠りから覚めて瞼を開くと、薄暗い部屋の中でケイトが慌てて玄関から出て行こうとしているところだった。
「三郎! 祐司がいない!」
「あぁ……?」
眠たい目を擦りながら部屋の中を見回す。
確かに、眼鏡女は寝転がっているが、ニット帽子の姿が見えない。
「……トイレか……それか、コンビニでも行ったんじゃないのか?」
「違う! きっと立体駐車場に行ったんだ! 護身用に置いてあった金属バットもない!」
だろうな、とは思った。
この集団の中で、波風に対する責任を一番強く感じていたのもニット帽子だった。
あたしは一度だけ、寝転がっている眼鏡女に視線を向ける。
「……待てよ、あたしも一緒に行くから」
もう忘れてしまったくらい昔、まだ小学生の頃、不良同士の抗争に紛れて遊んでいたあの頃の感覚を、少し思い出していた。
深夜でもタクシー会社はしっかり働いている。
強引に捕まえたタクシーに乗り込み、あの複合商業施設に向かう。
目的地でタクシーを降りる。
無論、今は営業時間外で閉館され消灯されている。
車では入れないようになっているものの、出入り口は黄色と黒色をより合わせたロープが張られているだけ。
敷地くらいにはまたいで簡単に入れる。
立体駐車場はさすがにローラー式の門で閉じられているが、あたしやケイトにはあまり関係がない。
ニット帽子も、よじ登って超えるのはそう難しくなかっただろう。
立体駐車場に入ると、やや焦った様子でケイトが走り出し、あたしもそれに続く。
波風とニット帽子がどこにいるかなど分からないので、取り敢えず地上1階を走り回る。
と、ちょうど真ん中あたりでケイトが立ち止まる。
何か見つけたらしい。
一瞬ふらついたようにも見えた。
「あ……あぁ……あ……」
そして頼りない足取りで歩き出す。
横から覗き込んだあたしは、そこに何があるのか分かった。
非常用階段の上部にある、誘導標識と言うのだろうか、点灯するあおい光に照らされていた。
駐車場の路面にぽつりと置かれている、それ。
ニット帽子を被った、生首。
「あ゛ぁあ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」
地面にへたり込み、ニット帽子の首を拾い上げて抱きしめるケイトの、絶叫が駐車場内に響き渡る。
「ああぁ……あぁ……あぁぁあぁああ……」
それまでの緊張の糸がついに切れてしまったのか、友人、あるいは想いを寄せていた相手の無残な死体を見た事に対する、悲しみなのか。
ケイトの目から涙が溢れ出している。
あたしはそれを、ニット帽子が死んだ悲しみや、ケイトへ対する同情などより、自分が流せなかった涙を流せる彼女への羨望があった。
「どうして……こんな……こんな……」
あたしは大きく静かに息を吐く。
そして、タッタッタと短い間隔の足音が後ろから近付いてきた。
「なな……波風はどこよ! もう許さない! わわわ私だって……私だって……」
それは、雑居ビルで寝ていたと思っていた眼鏡女。
頭に工事用の安全ヘルメットを被り、両手で頼りなくゴルフクラブを握っている。
おまけに足は内股で震えていた。
あたしは手で後頭部を掻きながら、ケイト、眼鏡女に向かって語りかける。
「さて、そろそろ答え合わせをするか」
「……こたえ……あわせ?」
ケイトが掠れ消えそうな声で答える。
「そうだ。刑事ドラマだって推理小説だって、最後はネタばらし。そうだろ?」
あたしは振り返って、眼鏡女に向かって言い放つ。
「お前だろ、今までの事やってきたの、全部」
「な……何を言ってるのよ。これは全て波風がやった事じゃないの……。私は仲間よ?」
あたしは唇の端を歪めて笑う。
「頭の悪いあたしにだってわかるくらい、お前は怪しいよ。あの紙切れだって、パソコン君の時だって、誰からどう見たってお前は真っ黒だ」
「……そ……そんなのただの……言いがかりじゃない。私は……」
「お前、自分の力が何かって時、何て答えた?」
「……超記憶力……よ」
あたしは溜息をつく。
「なんでよりにもよって、『頭の出来』……なのかね」
「何が……よ……」
「鬼化してもな、強化できないされない部分ってのはあるんだよ」
「鬼……化……?」
彼女にもケイトにも鬼と言う単語は聞き覚えがないだろう。
しかしあたしは、自分の頭の側面を指でコツコツ突いてから続ける。
「頭だよ。おつむだけはどうしても、強化されない。鬼化して頭が良くなる事はないんだ」
「…………」
「なにしろ、ほぼ鬼になってるあたしだって、頭の出来はまったく変わらない。昔から、バカのまんまだ」
「…………」
「どうする? もしあんたが本当の事を話せば、『あんたが知りたかった真実』を教えてやるよ」
あたしの眺めるような視線にも、ケイトの驚愕が混じった視線にも動じず、眼鏡女はゴルフクラブを捨てて安全ヘルメットをゆっくりと脱ぐ。
そして、顔を歪めた、かなり性の悪い笑みを浮かべる。
「……ククククははははははあーーーはっはっはっはっはっは!」
「ゆ……優子……」
ケイトは抱えたニット帽子の生首で血塗れになりながら、それでも信じられないような目で眼鏡女を見つめる。
「頭……ククク……頭かぁ。頭ね……ククク。さすがにそいつは分からなかったなぁ。確かに理性を失う奴ばかりなんだから、頭が良くなる訳ないわよね」
「ずいぶんと可愛らしい笑顔をするんだな」
「ククク……ありがとう、『オリジナル』さん。やっぱりあなたは『異能者』ではなく『原型』だったのね」
「そう、あたしが色んなとこに狂気を振りまいた元凶(の片棒を担いだ)。その様子だと、やっぱり波風は死んでるんだな」
「そうね……えぇ、そうよ。波風 与一はずっと前に死んでるわよ。今は他の暴走人間と同じ生ける屍も同じだわ。今までのも全て、波風の仕業に見せた私の演出よ」
「まったく……悪趣味だな」
「私にとって、祐司もケイトも他の皆も、ましてや波風にも全く興味なんてない。私が興味があるのは、あなたよ、オリジナルさん」
「だろうな」
「今までのも全て……あなたがESP自警会なんておままごとに入る前から、私はあなたを探していた。少し前、世界中のあちこちに飛び散った力の源である、あなたをね」
「殆ど隣にいて、あんな仲間の演技をし続けた演技力だけはすげぇと思うよ。それで、いったい何がしたかったんだ?」
「おっと、私が話すのはいったんここまで。次はあなたよ、オリジナルさん。この世界中に飛び散った悪魔のように人を狂わせる力、これはいったい何?」
「……何年か前、ここの近くの街には『山から鬼が降りて子供を襲う』って迷信があった。実際に、被害はあったんだがな」
「…………」
「ある日、まだ幼い少年が地区の自治会と夜回りに出ていた。その夜、鬼と対峙した少年は、食う、事で鬼を自分の中に取り込んだんだ」
「なるほど……。その鬼、と言うのは地獄の獄卒のようなオカルトや宗教じみた物と解釈して良いのかしら」
「いや……おそらくはもっと人間由来のものだろう。人間の、悪意や憎悪、嫉妬、傲慢、殺意、そんなマイナスの感情の集合体、あるいは思念のような塊、またはそれ以外の何か。人間の負の部分から生まれたそれが、いわゆる鬼の形を取ったものなんだろう」
「なるほどなるほど……人間の感情を一種のエネルギーのようなものと捉えた場合、それらが消失せず何らかの個あるいは群として存在していたとする仮定なのね。生物や物質でなくとも、ある種そこにいる『存在』という曖昧なものだとしても」
「知らねーよ。あたしの見解だってただの受け売りだ。そんなに知りたきゃ、地獄に堕ちて獄卒と見比べてこいよ。あたしはその狂気に触れて鬼化した人間を潰したいだけだ。今度はお前だ。お前は、なんだ?」
「私? 私は、黒帽子 優子、選ばれた人間よ。そこにいるケイトや、祐司や正太郎や正義、ましてや波風みたいな半端者とも違う、本物よ」
「本物ね……」
「確かに力の発現こそ、あの力がばら撒かれた時期で、ケイト達とも全く同じ。でも私の力は、『力をいじくりまわす力』。暴走した人間……鬼化した人間だったかしら? あなたの言うところでは。あれを操るのだって、その内在する力を操作するからなのよ」
「よくわからん」
「人間は鬼化して、人間としての自分を失うとその中身はすっからかんになる、最終的にね。体の中に満ちる狂気の力を操ることで、それを燃料としてロボットのように動かしているの。操作しているのはその狂気の力の運動だけ。体そのものを動かしている訳ではないわ」
「要は洗脳や催眠じゃなく、マリオネットみたいなもんか」
「もちろん、元々生物として機能している本能や反射運動なんかも一部利用しているから、殆どすっからかんになった体を動かすのは、それだけしんどいのだけれど」
「波風の家にいた、あの化け物も狂気をいじくり回した実験の産物か」
「ご名答♪」
「知的好奇心で命を弄ぶのか。気色の悪い奴だ」
「鬼化したからって容赦なく人体を破壊するあなたに言われたくはないわね。それに、まだわからない事もあるのよ。オリジナルのあなた、それに私。他の異能者と比べて特別な存在が生まれてしまうのは何故?」
「さぁな……。ただ、どんなもんでも何万分の一とかの確率で、イレギュラーってのは存在し得る。この世界中に蔓延る狂気が人間にとっての毒だとしても、その毒に順応する存在だっているんだろう。憶測だがな」
「やっぱり、私もあなたも特別な存在なのね。人を超えた、異能者……超越者」
あたしは口の中に溜まっていた唾を地面に吐き捨てる。
「人を超えた? 何を寝ぼけた事言ってるんだ。人から外れた存在。人の世から零れ落ちちまった、ハグレ者。あたしもあんたも、人の世界、人の輪に入れなかっただけの、仲間はずれってだけだ。社会ならぬ、世界不適合者ってやつだな」
「……わかりあえないみたいね」
「そんなもんは最初からだ。それに、あたしとあんたじゃ決定的に違う事もある」
「なにかしら?」
「あたしは、あんたよりずっとずっと仲間はずれって事だよ」
「ふふ……私の一番の目的、オリジナルであるあなたの入手だったけれど、それはまた今度にしようかしら、ね」
「何言ってんだ。ここまでやって逃げれると思ってんのか?」
自分の顔に、凶悪な笑みが知らず知らずのうちに浮かんでくるのを、自覚する。
長かった話がようやく終わりそうになり、あたしは両手足に力を込める。
学のないちっぽけな脳みそで人間哲学振り回すより、暴力に訴えかける方が、やはり性に合っている。
「逃げられないと思ってるの?」
「逃がす訳ないだろ」
「逃げられるわよ。だって、私にはお友達がたくさんいるんだもの」
「マリオネットのお友達か? 良いぜ、呼んでみろよ。数十体程度、お前が足を地面から離してもう一度付ける前にバラバラにしてやるよ」
「あら怖い♪ じゃあ、数百体ならどう?」
ボコボコボコボコボコボコボコッ!
と言う冗談のような音と共に、コンクリートの地面を突き破って無数の鬼化した人間が”生えて”きた。
「…………どっからこんなに持ってきたんだよ」
「ふふふふふ♪ 言ったでしょ? 狂気の力は燃料、その燃料を注ぎ込めば死体だって動かせるのよ。それにお人形ならいっぱいあるでしょ。例えば……病院とかね♪」
「こいつ……霊安室から持ってきやがったな」
「また今度遊びましょうね、オリジナルさん♪」
眼鏡女の声が遠くに消えていく。
あたしは、既に動き出していたが、無数に襲い掛かってくるそれらの対応が限界だった。
人の波に沈む直前、一瞬だけ見えたケイトは、いまだニット帽子の生首を抱えて座り込んでいた。
おそらく、今回の事件でESP自警会のメンバーは全滅したのだろう、あたし以外は。
もし、あたしがESP自警会のメンバーとして認められていたら、の話だけれど。
立体駐車場が、戦場となった。
鬼化した人間は、文字通り四方八方から襲い掛かってきた。
どこかに潜んでいた者が走って向かってくるのはもちろん、地面から幾らでも生えてきたし、天井を突き破って跳びかかってもきた。
本気に近い程の力を使ったのは、いつぶりだっただろうか。
あるいは、使った事など今までなかったのかもしれないが。
無数の敵を相手に、あたしはひたすら戦い続けた。
敵を、殴り、蹴り、砕き、潰し、突き、極め、投げ、握り、切り、斬り、打ち上げ、蹴り上げ、踏みつけ、掌底し、捻り、打ち下ろし、蹴り下ろし、引きちぎり、そして破壊する。
ありとあらゆる運動エネルギーで、敵の体を壊しまくった。
その時あたしは、笑っていたのだろうか、泣いていたのだろうか、あるいは無表情だったのだろうか。
今となってはわからない。
返り血で真っ赤になる以上に真っ黒になり、ただただ敵しか見えない視界の中で戦い続けた。
おそらく、実時間としては1時間から2時間程度であっただろう。
空が白け始めた頃に戦いは終わった。
いや、実際は戦いが集団戦になっただけだった。
騒ぎを聞きつけた警察数人がさらに応援を呼んで、その警官達と鬼化した人間達との間で激しい銃撃戦になったからだ。
その段階で、あたしは立体駐車場を逃げ出した。
午前4時半頃、ちょうど三郎が返り血でどす黒く染まっていた頃、黒帽子 優子は住宅地の間を走っていた。
「ふぅ……ふぅ……ここまで来れば大丈夫かしらね。後はタクシーでも乗りましょうか」
優子は走っていた速度を緩め、クーリングダウンのために歩きへ変える。
そして、筋肉の疲労とは別に、震えている自分の腕を自覚する。
「ふふ……ちょっと近づきすぎたかしらね。頭脳派な私にしちゃ、あそこまでオリジナルの近くで対峙するのはちょっとドキドキしたわ」
三郎に対する本能的な恐怖があった。
自身の高位、とは違うもっと別種の異質な力の差異を感じたからだ。
「ふふふふ♪ でも、これで色々な事が分かったわ。これから先、もっともっとやれる事が多くなる。私は、無敵だ♪」
その時、暗がりから彼女へ語り掛ける声がある。
「ああああら、ででででもそうやって色々やられると……こここ困るのよね~」
「誰!?」
そう言い終わるか言い終わらないぐらいで、優子は自身の異常に気付く。
「な……なななによ、これ……」
ぼこっぼこっぼこっ
自分の皮膚が、異常な変色と炎症を起こしていた。
それも驚くような速度で、口内から広がったそれが、全身へと拡大していく。
「あがががががが……わわ私の体が……! 体がぁぁぁぁああああああああ!」
優子にもその感覚、その痛みに近い覚えがあった。
強烈な痛みと炎症。
ビタミン不足の時などに起こりがちな、本来はあまり大したことない痛みのはずのあれ。
彼女は、全身が口内炎となり、その姿は人の形をした肉塊に近い物であった。
あれから数日が経ち、その数日で12月へと入り、季節は本格的な冬となっていた。
あたしは近所にあるハッピーアンラッキー2号店の、壁際の席に座っていた。
注文していたホットコーヒーをちびちびと飲んでいる。
ガランガランと、最近店が入り口に付けた入店の鐘が鳴る。
白いスーツの女が、きょろきょろと辺りを見回した後、こちらに気づいて歩いてくる。
「ごごごめんなさい、ししし仕事が長引いちゃって……」
20代後半くらい。
白いスーツに対して、しっとりとした黒い長髪、それに美人ではあるが淀んだ目が印象的だ。
彼女のどもる喋り方は動揺しているのではなく、口調に近いものである。
あたしの向かいに座った彼女は、オーダーを取りにきた店員に水だけ頼む。
彼女の名前は、闇島 病み子。
かつて本名を知らなかった時はY・Yと呼んでいた事もあった。
「どうして殺さなかったんだ?」
あたしは、彼女に眼鏡女……黒帽子 優子の暗殺を依頼していた。
あの立体駐車場で逃がしてしまった優子を、仮にあたしが始末できなかった時の事を考えて、逃げた先でこの病み子に抹殺してもらうように、連絡を取っていた。
結果的に、病み子はお得意の呪術で優子を肉の塊にしてくれた訳だが、命は取らなかったようだ。
「かかか勘弁してちょうだいよ……おおお女の子好きの私に……そそそんな残酷な事させないで……」
あたしはコーヒーを啜る。
まぁ、ああなってしまった優子が、この先どの程度の事をするのか、出来るのかは分からない。
もしかしたら儚んで自殺、という事だってあり得るかもしれない。
すっきりとはしないが、それもまた良しと思えなくもない。
彼女にしても、幾ら狂気の力を操れるとは言え、崩壊は必ず訪れる。
それに、あたしが鬼を取り込んだように、優子が狂気の力に順応したように、世界中に蔓延した狂気を依り代として突然変異を起こす人間だってまだいるのかもしれない。
それは優子のように破滅を望むカタストロフィ信奉者であったり、あるいはあのESP自警会のように正義感を糧とする救世主のような奴かもしれない。
それら全ての責任を背負うには……あたしの体はちっぽけ過ぎるような気がした。
ただ、あーくんの想いのために。
あたしに出来るのはそれくらいが関の山だろう。
「そそそれと……これ、たたた頼まれてた例のあれよ……。ゆゆゆ夕暮 秋貴君の……ごごご遺骨とご両親の……」
「あぁ、あれか。ありがとな」
テーブルの上に出された茶封筒。
封を切って開けると、そこには文の書かれたコピー用紙が3枚と、数枚の写真が入っていた。
写真は全体的にピンぼけていて見づらい。
見た事もない寒村、角のような物が生えている村人、それに酷く見づらいが異形の怪物のような物体が映っていた。
「ささささて、私はもう行くわね……まままだ残している仕事だってあるし、たたたまには家に帰って要ちゃんの顔だって見ないと……。ささささーやちゃんから、ありがとうなんて珍しい言葉も聞けたし……」
「……あたしって普段、そんなにお礼言わないか?」
「ふふふふふ……どどどうかしらね……?」
病み子はハンドバックを持ち直すと、店から出て行く。
彼女もまた、あたしとは別種の『仲間はずれ』なのかもしれない。ただ、愛し愛される相手が傍にいるかいないかの差はあれど。
あたしはコーヒーを啜りながら、窓の外に目をやる。
寒くなってきた街中を、様々な人が歩き、生活し、生きている。
人間の社会は、例えその裏に化け物が息を殺して潜んでいたとしても、まるで歯車のようにきっかりと回り続けているのだ。
道行く人々の、髪の毛に隠された頭蓋骨の両側に、密かに小さく盛り上がりがある事が、鬼の目を持つあたしには何となく見える。
いつしかそれが、『進化』という形で人と鬼が混じり合い、違いなど分からなくなるくらいまで溶け合う日が来るのだろうか。
季節は冬。
寒風が吹き始め、もうすっかり通行人の服が冬物になる。
あたしはレストランの中から人間の社会を眺めていた。
fin