第一夜



『それがあたしの出来る事』



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あたしの光はどこにあるのだろう。

失ってしまった眩しい眩しいその光。

いつか手が届くのだろうか。

そう信じられるなら、きっと何千年何万年だって地獄の中を歩いて行ける。

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草木も眠る丑三つ時。

その人物は鉄塔の上に腰かけて街並みを見下ろしていた。


小柄な体躯、分厚いダッフルコートはフードを目深に被り顔は見えない。

編み上げのブーツの踵(かかと)が不規則に鉄塔の側面をコツコツと叩いている。


「~~~~♪」


口ずさむのはうろ覚えの洋楽。

その乾いた歌声はすぐに風に掻き消されてしまう。


彼の見つめる先、街の美しい夜景は光に包まれている。


だが彼には見えていた。

目の網膜を通して、はっきりと病んだ社会と闇が渦巻いているのを。

見えているのだ、美しい夜景の中に潜む狂気を。


「……あれか」


彼は鉄塔の上でゆっくりと立ち上がると、慎重に膝を曲げた。


そして跳躍する。

夜景の中へと。

その体を躍らせるように遠くへ落下する。








あたしこと、鬼瓦 三郎(おにがわら さぶろう)は何棟かの建物を飛び越え、獲物の頭上へと到達した。

今足の下にあるのは繁華街の飲食店のひとつ。

目的の人物はちょうど裏通りをふらふらしていたので、非常に都合が良い。


あたしの目的の人物とは、裏通りの汚い地面を踏みしめてふらふらと歩くスーツ姿の青年。

彼の足取りは頼りなく、狭い通りの壁に何度も体をぶつけている。


見えていた。

彼に纏わりつく真っ黒な狂気が。


建物からあたしが飛び降り、それと同時に予想外な事態も起きた。

既に同じ事を何度も行っていたので間違いなく慢心していた。


青年の少し先の、飲食店の裏口が開いて店員の女性が出て来たのだ。

歳は30ほどで片手に持ったゴミ袋から、ゴミ出しをしようとしている。


「ぅ……ぅあっ……うぅ……」


「どうしたんですか、大丈夫ですか?」


彼女が青年に気が付き、気遣いの言葉を掛けたのは不運としか言いようがない。

あたしは地面に着地したばかりで何も間に合わない。


「っぅう!」


ガブッ


彼の口から生えた異形の牙が、女性店員の喉元を食いちぎる。


「え?」


たった一言の疑問が彼女の遺言になる。

あまりに軽く倒れ伏す彼女の体。

血が噴き出し水たまりを作る。

裏口のドアはあまり大きな音を立てずに閉まる。

店内の人間が気づかないくらい静かに殺傷が行われた。


「ちっ……」


要らぬ犠牲に、あたしの心はどこかもやもやする。

地面を蹴りつける。

コンクリートが圧力に負けて少し砕けた。

数メートルの距離は1秒と掛からず縮まる。


「あ……あぅ……ぅあ……」


見れば青年も酷い有様だ。

スーツは吐瀉物等で汚れ放題、顔面は血管が肥大しまるで知性を感じさせない。

右腕の形も人間の物でなくなりつつある。


青年が次の言葉を吐く前に攻撃は終了させる。


初撃でこめかみから眼球を破壊する。

叫ぼうとした口を下顎さら裏拳で砕く。

最後に肩を掴み、空いた片手で拳を3発胸部に叩き込み肋骨を粉々にする。


荒く、技とは言えない強引な破壊劇。

しかし鬼化の始まった人間に技術もあまり意味がない。

死なない程度に殺しておけば充分だ。

それで内部の鬼が出ていかない事もあるが、病院に搬送されればその後暴れたとしても取り押さえられる。


「……こっちはどうするかな」


女性の方は既に息がないようだ。

この場を警察と救急車に通報はするが、助かるかどうかは分からないしそこまで関与できない。


また建物伝いにこの場から離れようと壁に足を掛ける。


ガタタっ


「見られた……!?」


裏通りの先、大通りの方に誰か逃げる気配があった。

視認できたのは服が褐色系だったと言うくらいだ。



「くそっ面倒くさい……!」


あたしは壁を蹴り、窓のガードを掴み跳びながらその人物を追跡する。

もちろん通報の電話はそのまま掛ける、裏声で。







街中に鬼化する人間が出始めたのも、あたしが鬼化した人間を半殺しにして回るようになったのも、話は少し前に遡る。


かつて朝顔 結城と夕暮 秋貴、この二人を巡った数奇な痴話喧嘩によって世界中に狂気がばら撒かれてそうになった。

事態は大事(おおごと)になる前に穏便に解決した……はずだった。


結城は贖罪しつつ日々を暮らし、夕暮 真は日常に戻り、秋貴も賽の河原に帰った。

しかし彼らが元の場所に戻ったとして、それで全てが元通りになった訳ではなかったのだ。

ばら撒かれた狂気、それは思いのほか遠くまで、そして不明瞭に散って行って残留していた。


あちこちに残る狂気の欠片。

それは街行く人々を浸蝕し、人の形をした鬼へと変じる。

不格好な鬼と化した人間は無差別な暴力に走る。

物を破壊し人を喰う。


それが他人事であれば、あたしの知った事ではなかった。

見知らぬ他人が幾ら犠牲になろうと知ったこっちゃない。


ただ、大元を辿れば原因の一端はあたしにもある。

おそらく当人達は真実を知らないだろう。

結城が狂気をばら撒いたのも、元を正せば奉納された鬼の腕が酷く粗末に扱われた為に暴走したが故だった。


あたしには責任があった。

自分から繋がる狂気が社会にばら撒かれてしまった後始末をする責任が。


そしてなにより、あたしの想い人はあいつを強く愛しているから。

だから彼が今の惨状を見るならば、「幼馴染のよしみで何とかしてくれ」それくらいは言いそうだから。

だからこそ、あたしの中に彼への未練があるうちは、それくらいの遺言は聞いてあげたかったのだ。


どの辺りに、どこまで飛び散ったかもわからない鬼の思念の破片。

回収しきれるのか分からない。

あたしに出来るのは闇が渦巻いている場所で鬼化した人間を止める事くらいだった。



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